須磨のお大師さん、弘法大師のおはなし

2022.09.02
daishimochi
真言宗の祖、弘法大師は古くから日本中の人たちに「お大師さま」の愛称で親しまれてきました。

全国の真言宗のお寺では、毎月20日21日には「お大師さん」と呼ばれる縁日が開かれ多くの参拝客でにぎわいます。

須磨一帯の弘法大師信仰の中心である須磨寺でも毎月20日21日にはお大師さんの縁日が行われ、参拝される方々で参道も活気づきます。

当店にゆかりの深い須磨寺でお祀りしている弘法大師について、「須磨の歴史マニア」ことアッコが調べてみましたのでお付き合いください。

お大師さまの一生

弘法大師(空海)
画像引用:空海 – Wikipedia

「弘法大師」のことを多くの人は親しみを込めて「お大師さま」「お大師さん」と呼びます。

弘法大師は生前は「空海」という名前のお坊さんで、遣唐使として中国に渡って真言密教と出会い、帰国後、真言宗を開いて真言密教の教えを人々に伝えた人だったそうです。

 

奈良時代、香川県でお生まれになり、幼いころから学問に親しまれて18歳で仏道の道に進まれます。

30歳の時に遣唐使として渡った中国で真言密教と出会い、日本に戻ってからは真言宗を開いて、真言密教の伝道に力を注ぎました。

62歳の3月21日に高野山にて「私は21日に永遠の禅定に入り、弥勒菩薩のもとで皆を見守る」と弟子に告げたのち永遠の瞑想に入られたそうです。

この永遠の瞑想に入った21日を真言宗では「ご入定の日」と呼び、今でも毎月21日に各地でさまざまな法要や行事が行われています。

 

幼少期のお大師様(真魚時代)

お大師さまが生まれたのは宝亀5年(774年)。奈良に都があった奈良時代です。

讃岐国多田郡屏風浦(さぬきのくに-ただのこおり-びょうぶうら)と呼ばれる現在の香川県善通寺の有力な豪族の息子として生まれました。

幼名は「真魚(まお)」。

幼いころから聡明だったお大師さまは、桓武天皇の教育係を務めた伯父の阿刀大足(あとの-おおたり)から漢詩や論語などを学んだそうです。

また、土で仏様を作り拝むなど信仰心の厚い姿に「貴物(たとうもの)」と呼ばれ、たたえられていたそうです。

 

青年期のお大師様(空海時代)

伯父の阿刀大足とともに15歳で都に上ったお大師さまは、18歳で大学の明経道(みょうぎょう-どう)で歴史や漢文などを学びはじめます。

ですが、立身出世を目的とした学問に疑問を持ちます

そんな時、沙門(しゃもん)という僧侶から「虚空蔵空聞持法(こくう-ぞうくう-もんじほう)」という密教の修法を教わります。

 

「虚空蔵空聞持法」と出会ったお大師さまは、大学を辞めて仏道に進むことを決意、名前も真魚から「空海」に改めました

さまざまな厳しい修行を積んだお大師さまは故郷の讃岐国に帰りますが、両親から仏道に進むことを反対されてしまいます。

 

お大師様は24歳の時、『三教指帰(さんごう-しいき)』という初めての書物を書き上げます。

この書物で、儒教・道教・仏教の優れた点を比べて、仏教が3つの中でも最も優れた教えであることを明らかにされました。

弘法大師(空海)の著書「三教指帰」
画像引用:三教指帰 – Wikipedia

その『三教指帰』を読んだ両親は、お大師様が仏道の道に進むことを許しました。

晴れて僧侶の道を進むことを両親に認められたお大師様は、数々の修行に励み、やがてその後の人生を大きく変える大日経と出会われます。

 

お大師様(空海)の人生を変えた「遣唐使」

大日経と出会ったお大師様(空海)は、さらに深い教えを学ぶために阿刀大足を頼り、留学僧として遣唐使の一行に参加します。

遣唐使
画像引用:遣唐使 – Wikipedia

804年7月に4つの船が中国の唐を目指し出港しますが、嵐に襲われ唐の都に着いたのはお大師様を乗せた船を合わせて2隻しかありませんでした。

出港から4か月後の12月23日、長安に到着したお大師様は、延暦24年(805年)に正統な真言密教を受け継ぐ名僧、恵果和尚との対面を果たされました。

恵果和尚はお大師さまを一目見て、自分の後継者として法を与えることを決意します。

「灌頂(かんちょう)」といわれる古代インド国王の式典の風習を仏教が取り入れた儀式を行うのですが、儀式を行うには準備として梵語やインド仏教などさまざまなことを学ばなければなりません。

非常に難しいと思われたにも関わらず、お大師さまはわずか3か月で必要な学問を習得し、「灌頂」を受け、大日如来を意味する「遍照金剛(へんじょう-こんごう)」という名を与えられて、恵果和尚の後を継ぐことを正式に認められました。

その年の12月、恵果和尚はお大師様に「早く日本に帰って密教を広めるように」との遺言を残し、この世を去ります。

お大師様は和尚の遺言を胸に日本へ帰ることを決意したお大師様は、荒れ狂う海を再び渡り、翌年806年に日本に帰国し高野山で密教の教えを伝えることを始められました

1200年続く永遠の瞑想「ご入定」

入定とは、真言密教の教えのひとつで、弥勒菩薩が現れるまでこの世のすべてのものを救うために永遠の瞑想に入ることをいいます。

承和2年(835年)3月21日、お大師さまは人々の平和な暮らしを願い、高野山奥の院にてご入定されました。

1200年経った今なお瞑想を続けられているといわれており、高野山では1日2回、生身供(じょうじんく)としてお大師さまに食事が届けられています。

生身供
画像引用:わかやま観光|高野山のみどころ | 和歌山県公式観光サイト

お大師さま由来の当店人気No.1和菓子「大師餅」

永遠に人々のために瞑想を続けられ、多くの人に親しまれているお大師さま。

そのお大師さまをお祀りしている須磨寺の参道にある当店には、お大師さまのお名前を戴いた「大師餅」というお菓子があります。

驚くほど柔らかいお餅で包んだ程よく控えめの甘さの粒あん、よもぎの上品で穏やかな香り、当店人気NO1和菓子です。

一度食べて頂ければリピート間違いなしの大師餅は、お大師さま参拝のお土産に大変お喜びいただいている和菓子です。

お参りのお帰りにお立ち寄りいただき、ご賞味いただけると嬉しいです。

須磨寺参拝のお土産に 大師餅

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