仕事運や恋愛成就を目的にされている方もいますが、
中には仏像や美術品など日本美術や文化に触れることを目的にされている方も多くいるそうです。
今回は美大出身のアッコが須磨寺に収蔵されている数々の文化財についてご紹介します。
須磨寺は貴重な文化財の宝庫
須磨寺のある須磨は、
小倉百人一首の一つ源兼昌の歌にも登場するなど古くから文化人との関係の深い地として親しまれてきたそうです。
また須磨寺自体も、
日本最古の恋愛小説である『源氏物語』の光源氏のモデルともいわれている在原行平(ありわらのゆきひら)が
須磨に流された時、須磨寺に訪れ勅勘(ちょっかん)を許されたという言い伝えが残っています。
ほかにも歌舞伎の人気の演目で知られる「熊谷陣屋」や「祇園精舎の鐘……」で有名な「平家物語」にも登場するなど、
歴史・文化と深いご縁があります。
須磨寺にはこうした歴史にまつわる文化財が今でも大切に保存されています。
最も古い国宝は南北朝時代
須磨寺には寺宝と呼ばれる文化財が数多くありますが、
その中も最も古い国宝は南北朝時代のものだそうです。
仏像のほか、細かな細工が美しい銅板で作られた釣灯籠や
仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である鰐口(わにくち)なども大切に保管されています。
これらの寺宝は宝物殿に展示されていて、当時の職人の高い技術力を見ることができます。
国指定重要文化財 普賢十羅刹女像ふげんじゅうらせつにょぞう
十羅刹女(じゅうらせつにょ)とは、法華経を守る10人の羅刹女のことをいいます。
はじめは人の生気を奪う鬼女として恐れられていましたが、
仏の教えをきっかけに鬼子母神とともに仏の弟子を守り幸福をもたらす諸天善神(しょてんぜんじん)となったと言い伝えられています。
須磨寺に所蔵されている十羅刹女像は、唐装(からそう)と呼ばれる中国風の衣装ではなく、
十二単衣の女官姿で描かれているのが特徴といわれています。
国指定重要文化財 木造十一面観音立像
十一面観音像とは、頭上に冠のような11の顔を持つ観音様のことです。
十一面観音像は人々を病気や事故、食べることなど1暮らしの不安から守るなど現10の現世でのご利益のほか、
極楽浄土に導くなど亡くなってから4つのご利益があるとされています。
小振りながら端整な眼鼻立ち、引き締まった口元などが印象的です。
また、光背と呼ばれる観音様の背景も細緻な技法で彫られていて、当時の技術の高さがうかがえますよ。
須磨寺の歴史が詰まった 当山歴代 2巻
南北朝時代から江戸時代までの須磨寺の歴史を書き記した書物です。
当山歴代は、須磨寺の住持が須磨寺の歴史だけでなく人々の暮らしや
当時の社会の動きなども記していたことから歴史資料としても貴重な書物といわれているそうです。
須磨寺の寺宝「源平合戦」ゆかりの品々
源平合戦の地として有名な須磨寺には、悲劇の美少年としていまなお語り継がれる平敦盛公や、怪力の持ち主として知られる武蔵坊弁慶のゆかりの品も展示されています。
「青葉の笛」
平敦盛が愛用したといわれている笛です。
須磨寺には青葉の笛と同じく、敦盛公が愛用したとされる高麗の笛の2本とともに金の厨子に納められ展示されています。
どちらもシンプルな竹の笛で、高麗の笛にくらべて少し太いのが青葉の笛の特徴です。
青葉の笛は、歌舞伎の人気の演目「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」でクライマックスのシーンで登場しています。
17才という若さでありながら、最期まで自らの笛の音で家臣の兵の心を慰める敦盛公のやさしさがうかがえるエピソードは
多くの人の涙を誘うシーンとして有名です。
「弁慶の鐘」
須磨寺で大晦日の夜にならされる除夜の鐘を鐘楼といいます。
現在の鐘楼は2代目で、初代がこの弁慶の鐘と呼ばれる寺宝です。
弁慶の鐘には逸話があり、一の谷の合戦のときに、
弁慶が山田安養寺から長刀の先にかけて担ぎ、陣鐘の代わりにしたといわれています。
この逸話のおかげで第二次世界大戦のときにも供出を免れたそうです。
須磨寺参拝のお土産に大師餅本舗のお菓子はいかがでしょうか
当店のおはぎは、昔ながらの製法で作った無添加でやさしいお味。
定番の粒あん、こしあん、きなこの3つの風味をお楽しみいただけます。
お参りのお帰りにお立ち寄りいただき、ご賞味いただけると嬉しいです。
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