仏教は、飛鳥時代にインドから中国、百済を渡って日本に伝えられました。
今回は、仏教の開祖として知られるお釈迦様について、お釈迦様と同じ4月8日生まれの夫をもつ「まどか」がご紹介します。
亜細亜万物神殿はネパール大地震被災者慰霊と復興を祈る場
須磨寺の仁王門に続く参道に「亜細亜万神殿」(あじあばんしんでん)があります。
元々は須磨寺に寄進された東南アジアやインドの石仏を安置するために建設されていましたが、建設中だった2015年4月25日、ネパールで大地震が発生し、死者8,500人以上、負傷者15,000人以上という大きな被害が出ました。
ネパールの首都・カトマンズでも、多くの建物が崩壊し、歴史的な建造物や世界遺産の寺院などの多くが修復可能なほど大きな被害を受けたそうです。
1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた須磨寺は、他人事とは思えなかったのでしょう。この亜細亜万神殿をそのネパール大地震の被災者慰霊と復興を祈る場所としても整備を進め、2016年4月25日に落成しました。
須磨寺をお参りされた際には、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。
仏教の開祖 お釈迦様の故郷ネパール
この大地震が発生したネパールは、仏教の開祖であるお釈迦様の故郷としてご存知の方も多いのではないでしょうか。
国の三方をインド・中国・チベットに囲まれた細長い内陸の国で、世界最高峰の山であるエベレスト(チョモランマ)があり、ヒマラヤ登山の玄関口としても有名です。
ちなみに、エベレストの山頂はネパールと中国の国境上にあるそうです。日本で一番高い山である富士山も、山頂は静岡県と山梨県の県境上にあります。山頂は分け合うものなのでしょうか。面白いですね。
また、ネパールの国旗は少し変わった形をしていますが、ご存知ですか?世界で唯一、四角形でない国旗を持つ国でもあるのです。
多くの人々を救済したお釈迦様の生涯
仏教とは、キリスト教・イスラム教に次ぐ世界三大宗教のひとつで、特に東アジア、東南アジア、南アジアに広まっています。日本人に最も馴染みの深い宗教でもあると思います。その仏教の開祖であるお釈迦様の生涯とはどのようなものだったのでしょうか。
インドとネパールの国境の国 釈迦族の王子として誕生
お釈迦様の名前は、「ガウタマ・シッダールタ」といい、今から2500年ほど前の紀元前5~6世紀ごろ、インドとネパールの国境付近にあった小さな国を支配していた釈迦族の王子として生まれたと言われています。歴史上、実在したことは確かですが、生没年については正確には分かっていないそうです。
長らく子宝に恵まれなかった国王夫妻にとっては、シッダールタは待望の跡取り息子の誕生でした。
国王はシッダールタにそれはそれは大きな期待を寄せ、ゆくゆくは王位を継承させようと優れた環境を整え、望むものは何でも与えたと言われています。
お釈迦様の人間らしさが見える「四門出遊」(しもんしゅつゆう)
国王の愛を一身に受けて成長したシッダールタは、王子として宮殿の中で優雅な生活を送り、19歳で結婚し、息子も授かりました。そんな満ち足りた生活を送っていたシッダールタですが、成長するに連れて、人間はやがて年老いて、病気になり、いつか必ず死ぬという逃れることのできない問題に深く思い悩み、苦しむようになったそうです。
国王になるべく高度な教育の数々を受けてきたであろうシッダールタが、この年齢になるまでそうした問題に気づかず、悩んでこなかったというのは少々驚きでもありました。その悩みのきっかけとして語り継がれているのが「四門出遊」(しもんしゅつゆう)という伝説です。どんなお話か、簡単にご紹介しますね。
シッダールタは29歳の時、初めて宮殿の外に出ました。
侍従と共に東の門から出かけたシッダールタは、老人と出会います。
歯が抜けて、腰も曲がったその姿に大変驚いたシッダールタは、人間は誰しも必ずいつかは老いること、そして、自分もまた老いを避けられないということを知ります。シッダールタは動揺し、外出を取りやめ宮殿に戻ってしまいます。
さらに別の日、今度は南の門から出かけたシッダールタは、病人を目にします。
やせ衰えた病人の姿に驚いたシッダールタは、人間は誰しも病人になればあのような姿になると知り、再び激しく動揺し、宮殿に引き返します。
また別の日、今度は西の門から出かけたシッダールタは、死者を目にします。
シッダールタは、人は必ず最後には死を迎えることを知り、大きなショックを受けます。
三度外出を取りやめて宮殿に戻ったシッダールタは、「人は誰しも、老い・病・死という苦しみを経験しなければならないのか」と絶望したといいます。
そして、最後に北の門から出かけたシッダールタは、修行者に出会います。
修行者は、老い・病・死という人間の苦しみの原因を見つけることに専念していました。自分と同じ悩みに向き合うその姿を見て、シッダールタはそこに自分の進むべき道を見出して出家を決意したと言われています。
35歳で悟りを開く
妻子がある身であり、また、いずれは王位を継承する身でありながら出家を思い立ってしまったシッダールタ。父である国王は、どうにかしてシッダールタの出家を思いとどまらせようとします。親として、その気持ちはよく分かります。
しかし、シッダールタは宮殿を飛び出してしまいます。
老い・病・死という人間の苦しみ絶望し、思い悩んでいたシッダールタにとって、修行の道はすべてを捨てても突き進みたい道だったのでしょうね。
宮殿を出たシッダールタは、まず仙人を訪ねて教えを乞いましたが、納得する答えを得ることができず、自ら答えを見つけようと数々の苦行を自分に課し続けたと言われています。しかし、極限まで苦行に励み、身体がやせ細ってしまっても苦しみを解決することができなかったといいます。
シッダールタはついに苦行を止め、菩提樹の下で瞑想に入りました。そして、悟りの境地に達し、ブッダ(=悟りを開いた人)となったと言われています。
宮殿を飛び出して6年。シッダールタが35歳の時でした。
生きる意味を多くの人々に教えた晩年
悟りを開いたお釈迦様(=シッダールタ)は、80歳で亡くなるまで、多くの人々を進むべき道に導いたと言われています。
お釈迦様は「生きるとは何か」という問いに対して「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の考えにたどり着いたそうです。
その意味は「世の中のすべては移り変わるもので、何ひとつ確かなものはない。富や名声、健康や愛する人の命も永遠に続かない」というものです。
「平家物語」の冒頭に言葉としてご存知の方も多いのではないでしょうか。
現代は、とても変化が激しい時代です。色々なものが目まぐるしいスピードで変わっていきます。たくさんの情報があふれ、何が正しいか、何が自分にとって必要か、自分自身で取捨選択していかなければなりません。
こんな時代だからこそ、この言葉が響きます。
お釈迦様も私たちと同じ思いを抱えながら生きていた。そんな思いを胸に日々を過ごされてみてはいかがでしょうか。少し気持ちが楽になるような気がします。
須磨寺参拝のお土産に大師餅本舗のお菓子はいかがでしょうか
亜細亜万物神殿を散策される際には、今回ご紹介した言葉や、仏教の歴史に思いを馳せていただければと思います。そして、お参りのお帰りにはぜひ大師餅本舗本舗へお立ち寄りください。
くるみ饅頭は、昔ながらの製法で作った優しい風味のこしあんをふんわりした皮で包んで焼き上げました。あんと皮とクルミの香ばしさとのハーモニーをお楽しみいただけます。
日持ちも長く、お土産品に大変喜ばれる一品です。
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