須磨名所めぐり 能楽「松風」のヒロイン村雨のお話

2022.12.12
daishimochi
一気に秋が深まりましたね。

美しく色づく紅葉を楽しむもよし。秋の夜長に読書を楽しむもよし。芸術の秋らしく、日本が誇る芸術作品に触れるのもよし。

でも、今年の秋は、少し足を延ばして、須磨の名所巡りはいかがでしょうか。

今回は、須磨の魅力に目覚め始めた「まどか」が須磨の名所をご紹介します。

 

在原行平ゆかりの地 須磨

須磨の風景

須磨と言えば、今は関西を代表する景勝地のひとつ。

大阪湾に臨み、目の前には淡路島。須磨海岸の美しい砂浜も有名です。

また、平安時代の末期、源氏が平家を滅亡に追い込んだ「一の谷の合戦」の舞台としても知られています。

しかし、かつては人家もまばらで、平安時代には罪に問われた貴族の流刑の地でもありました。

在原行平(ありわらのゆきひら)もその一人。

理由は明らかではありませんが、時の文徳天皇の怒りを買い、須磨の地に流され、3年ほど滞在したと言われています。

須磨滞在中の寂しさを紛らわすために、須磨海岸に流れ着いた木片から一弦琴(須磨琴)を制作したと言い伝えられるなど、須磨には、そんな行平公にまつわる伝説や史跡がいくつも残されています。

 

在原行平とはどんな人?

では、在原行平とは、どんな人だったのでしょうか。

行平公は平安時代初期の貴族・歌人で、平城天皇の孫、「伊勢物語」の主人公のモデルと言われる在原業平(ありわらのなりひら)の兄でもあります。小倉百人一首には、「中納言行平」の名で登場します。

在原行平

画像引用:在原行平 – Wikipedia

 

光源氏のモデルとされる歌の名手

 

紫式部の「源氏物語」の中に「須磨明石の巻」があります。

主人公の光源氏が26歳の時、帝の恋人との密会が明るみになり、すべての官位を剥奪されました。無位無官となった光源氏は、遠方への流刑を免れるため、都から比較的近い須磨に自ら退きますが、これは行平公の須磨への流刑がモデルとされています。

 

「わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩垂れつゝ わぶとこたへよ」

(もしたまたまわたしのことを尋ねる人があったなら、須磨の浦で水を藻にかけ(涙を流して)思い悩んでいると答えてくれ)

 

これは「古今集」の行平公の和歌で、須磨に流されていた時に知人に送ったものと言われています。歌の名手であった行平公のこの歌が、紫式部の光源氏のイメージにぴったりと合ったのでしょうね。

 

行平公の歌は「迷い猫のおまじない」としても有名

 

小倉百人一首にも行平公の歌は取り上げられていますが、実はこの歌が、古くから「迷い猫が帰って来るおまじない」としても知られているのです。

在原行平

画像引用:在原行平 – Wikipedia

 

「立ち別れ いなばの山の 峯に生ふる まつとしきかば 今かへりこむ」

(あなたと別れて因幡の国へ行きますが、因幡の稲羽山の峰に生えている松の木のように、あなたが私を待つと聞いたなら、すぐにでも私は戻ってまいりましょう)

 

行平公が因幡(現在の鳥取県)の守に任ぜられ、赴任地へ向かう時に送別の宴で詠んだ歌とされています。都から遠く離れた地方都市へ赴任する自身の身を案じ、都への立ちがたい想いを読んだ切ない別れの歌として有名です。

「いなばの山」が、因幡の国の「稲羽山」と、「往なば(行ってしまった)」との掛詞に、「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞になっており、別れを惜しむ歌でありながら、同時にあなたが待っていると聞けばすぐに戻って来るよとも言っている名句です。

これが、いなくなってしまった猫の飼い主の「お前の帰りを待っているから、帰って来てね」という気持ちに重なったのかもしれません。

ちなみに、具体的なおまじないの方法は、地域によって少しずつ違いがあるようですが、おおよそ次の通りです。

 
  • 出入口に愛猫の使っていた食器を伏せて置き、その上にこの歌を書いた紙を貼る
  • 上の句だけ書いた紙を用意し、愛猫が帰って来たら上の句に続けて下の句を書き加え、その後で燃やす
  • この歌を半紙に書き、家の東側の壁に貼る
 

 このおまじない、私も今回初めて知ったのですが面白いですね。飼い主の大切な愛猫を想う気持ちが猫にも届いて欲しいと思います。

 

能楽「松風」は行平公と松風の切ない恋のお話

能楽「松風」 出展:Wikipedia

画像引用:松風(能)ーWikipedia

 

能楽に「松風」という作品があるのをご存知でしょうか。

これは、須磨に流された行平公が須磨の海岸で出会った二人の海人女の姉妹「松風」「村雨」との恋と、その悲しい結末を題材にした演目です。

 

お話のあらすじを少しご紹介しておきますね。



ある秋の夕暮れ。

旅の僧が須磨の浦を訪れ、磯辺にいわくありげな松の木があることに気づきます。

土地の者にそのいわれを尋ねると、その松は、在原行平公の寵愛を受けた「松風」「村雨」という二人の若く美しい姉妹の旧跡で、墓標であると教えられます。

二人を哀れに思った僧は、経を上げてその霊を弔います。

 

するとそこに、汐汲みを終えた若く美しい二人の海人女が戻ってきました。

僧は二人に一夜の宿を乞い、秋の夜語りを始めます。

僧が二人に浜辺で弔った松のことを話すと、二人は突然泣き出してしまいます。そして、自分たちがその「松風」と「村雨」の亡霊だと明かし、行平公との思い出と、都へ戻ってほどなくして行平公が亡くなったことで終わった恋を語りました。

 

姉の松風は、行平公の形見の狩衣と烏帽子を身に付けて思い出に浸りますが、やがて半狂乱となり、松を行平公と思い込みすがり付き、狂おしく舞い続けます。

やがて夜も明ける頃、松風は自身の供養を僧に頼み、二人の姉妹は姿を消すのでした。

その後には、村雨の音にも聞こえる松風が吹くばかりでした。



そんな哀しく切ないお話です。

能楽が初めての方にも、上級者にとっても心地よく安心して観られる人気の高い演目だそうです。機会があったら見てみたいものですね。

 

今なお残る「松風村雨堂」

 

松風村雨堂 出典:Wikipedia

画像引用:松風村雨堂ーWikipedia

能の舞台となった旧跡は、行平公の家があった場所のそばに建てられたという庵。観音菩薩像を祀り、行平公の無事を祈ったとされています。その庵の跡として今も残るのが「松風村雨堂」です。

現在、敷地内には、観音堂や供養塔の他、別れの際に行平公が植えたとされる「磯馴松」や、行平公が須磨を離れる際に、姉妹への形見の品として狩衣と烏帽子を掛けたと伝えられる「衣掛松」、行平公の歌が刻まれた歌碑などがあります。

 

在原行平・松風村雨姉妹も登場する 須磨寺の「からくり時計」

 

須磨寺のからくり時計

須磨寺にはおもしろい「からくり時計」があります。

納経所の壁面に設置されている「からくり時計」は、毎時(9時~16時)に作動し、行平公や松風村雨姉妹の他、平敦盛公や源義経など、須磨寺にゆかりの人々が小坊主さんの読経と一絃琴(須磨琴)のメロディーに合わせて登場します。須磨寺にお越しの際は、ぜひ楽しんでみてください。

また、須磨寺の宝物館には、平敦盛公が愛用したと言われる「青葉の笛」や、一の谷の合戦の時に弁慶が陣鐘の代わりに使ったという「弁慶の鐘」など、源平ゆかりの宝物や須磨寺の歴史的宝物が数多く展示されています。

 

須磨寺参拝のお土産に大師餅本舗のお菓子はいかがでしょうか

 



厳選した大粒の栗がもっちりとした蒸し羊羹の上にごろんと乗っています。甘さ控えめな蒸し羊羹はいつの時代も人気です。大師餅本舗ならではの滑らかさと風味をお楽しみください。

お参りのお帰りにお立ち寄りいただき、ご賞味いただけると嬉しいです。

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